- 2016年3月10日
- [国際事務局発表ニュース]
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(C) Richard Burton
「バルティック海のシュチェチンからアドリア海のトリエステまで、大陸を横切る鉄のカーテンがおろされた」1946年の3月5日、ミズーリ州の小さな大学の体育館で、ウィンストン・チャーチルが発した警告である。
チャーチルがこの演説をしてから70年後、ヨーロッパに新しい鉄のカーテンがおりている。有刺鉄線、そして機能しない難民政策という名の鉄のカーテンが。地中海のスペイン領セウタとメリリャ、ギリシャ北部のイドメニでそれが見られる。そこでは今週マケドニアの機動隊が、ワラにもすがる思いでギリシャから国境を渡る家族らに催涙弾を発射した。
EU加盟諸国は、EU領域とその外部を隔てる、235km以上にわたるフェンスを設置した。ハンガリーとセルビア、ギリシャとトルコ、ブルガリアとトルコ、そして今週はオーストリアとスロベニアの間に。トルコのような紛争地近隣諸国はヨーロッパの国境警備隊と化し、移民や難民を押し返し、ときには銃撃さえしている。ヨーロッパの陸の国境はほとんどすべて封鎖された。2015年に命がけの危険を冒して海路でヨーロッパにたどり着いた移住者や難民は、100万人以上にのぼる。
昨年、地中海を渡ろうとして死亡した人びとは3,770人を超え、今年はすでに410人が命を落としている。彼らはヨーロッパの新しい鉄のカーテン政策の直接の犠牲者であり、その意味するものはヨーロッパ全体の要塞化である。ベルリンの壁が存続していた28年の間に、壁を越えようとして亡くなった人は138人である。
なんとか生き延びて国境を越えた人びとにとっても苦難は終わるどころではなく、その後何日も歩き続け、いくつもの国々を通り抜け、寒さの中で野宿を重ねたあげく、ようやく難民救済制度が機能している国で安全を求める身になれる、というケースがほとんどである。
アムネスティは、アフガニスタン、エリトリア、イラク、シリア等の戦争や迫害を逃れてきた難民から聞き取りをした。ほとんどの人が、故郷を離れたくはなかったが、生命の危険が迫ってやむなく国を出たと語った。
※この記事は、Newsweekに投稿したものです。続き(英文)はこちらでお読みいただけます。
アムネスティ国際ニュース
2016年3月5日