- 2012年6月19日
- 国・地域:ミャンマー(ビルマ)
- トピック:危機にある個人
スイス議会を訪れたスーチーさんを歓迎する、アムネスティのサポーター
2012年6月18日、アイルランドにて、アムネスティのサリル・シェティ事務総長とロックバンドU2のボノがアウンサンスーチー氏に、「良心の大使」賞を手渡した。スーチー氏は現在、15年間の自宅軟禁を解かれ、24年ぶりとなる国際的なツアーのさなかである。
ビルマ(ミャンマー)の著名な政治家で、人権活動家でもあるスーチー氏。およそ15年を、自宅軟禁下で過ごしたかつての良心の囚人は、現在ヨーロッパを訪問中だ。
今回の訪欧は20年数年ぶりで、ノルウェーではノーベル平和賞を受け取る。
「良心の大使」賞は、アムネスティのもっとも名誉ある賞であり、人権を守り広めために闘う優れた指導者と闘いのただ中に身をおく人を称えるもので ある。過去の受賞者には、ピーター・ガブリエル、ネルソン・マンデラおよびメアリー・ロビンソンなどがいる。
15年もの間自宅軟禁されていたスーチー氏は、2009年に「良心の大使」賞を受賞している。今回の欧州訪問の折に、U2のボノとアムネスティのサリル・シェティ事務総長から手渡されることになった。
アウンサンスーチー氏とアムネスティ
スーチー氏とアムネスティに関わる過去数十年間の出来事の中から、おもだったものを以下に列挙する。
1988
20年間以上の軍政を経て、何万もの人びとが民主化要求デモを行う
軍が群衆に発砲し、推定3000人を殺害
スーチー氏を党首に国民民主連盟(NLD)結成
NLDは、非暴力と市民としての不服従の方針を取る。
1989
スーチー氏は、起訴も裁判もなく自宅軟禁に置かれる
アムネスティは、スーチー氏を良心の囚人に認定
1990
スーチー氏が軟禁下にあるにもかかわらず、NLDは総選挙で82パーセントの議席を獲得。ビルマ当局は、この選挙結果を認めず
1991
ノーベル平和賞を受賞。拘禁状態は続く
1998
アムネスティの「スタンドアップ!署名」キャンペーンの一環として、世界人権宣言を一個人として支持する、と誓約。
アムネスティは、ビルマ民主化運動10周年を機に、ビルマの政府に対し拷問の停止とすべての政治犯釈放を要求するキャンペーンを開始
2003
アムネスティ、ビルマ訪問の公用ビザを始めて取得
2007
民衆の抗議の新たなうねりが始まる。僧侶が率いる平和的デモ「サフラン革命」で最高潮に達するが、当局はこれを激しく弾圧。
アムネスティ、世界中の都市での集会を通じて、「ビルマのグローバル・アクションデー」を呼びかける。
2009
スーチー氏がアムネスティの「良心の大賞」を受賞
2010
アムネスティは、ミャンマーへ4000台のラジオを送るインターネット・アピールを開始
1990年以来初の総選挙で、軍政派の党が勝利を主張
反体制グループが不正を申し立てる
選挙の1週間後、スーチー氏が自宅軟禁から解放される
2011
3月、新大統領にテイン・セインが就任
8月、テイン・セイン大統領がスーチー氏と面談
11月、コメディアンのザーガナー氏を含め数名の政治囚が大赦で釈放
12月、NLDが政党として再登録
2012
1988年からの学生リーダーであるミンコーナイン氏、ココジー氏など、多数の政治犯が釈放される。スーチー氏ほかNLD候補が、補欠選挙で44議席うち43を獲得
アムネスティ国際ニュース
2012年6月19日
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