- 2007年2月12日
- 国・地域:米国
- トピック:死刑廃止
タイラーは1975年、セント・チャールズ区のデストレハン高校の近くで、人種間抗争中に13歳の白人少年を射殺したとして、殺人で有罪となった。タイラーが他の多くの学生とともに黒人用のスクールバスに乗っていた時、白人たちがバスを襲撃し、石やビンを投げつけた。銃弾はバスから発射されたとされた。銃が発射された後すぐに、バスに乗っていたすべての男子学生が身体検査を受けた。バスの中も、二度にわたり捜索された。しかし銃はみつからなかった。それから学生たちはバスに乗せられたまま警察署へ連行され、取り調べを受けた。一人の女子学生が、自分はタイラーの横に座っていて、タイラーが人びとに向かって銃を撃つのを見たと言った。この証言の後に警察は突然、45口径のオートマ銃をバスの座席の長い破れ目から「発見」した。その座席はその前にも捜索され、何度も揺さぶったりひっくり返したりされていたが、何もみつかっていなかった。ゲイリー・タイラーは警察に留置された。そしてひどく殴られたというはっきりした証拠がある。本人は罪を認めるようないかなる発言もしなかった。
白人たちが人種統合に抵抗したことから、この地域での人種間の緊張は事件発生時高まっており、クー・クラックス・クラン(KKK)が主導する事件が頻発していた。タイラーは全員白人の陪審で裁かれた。黒人は陪審員から恣意的に除外された。弁護士は民事専門の白人で、弁護は非常にお粗末なものだった。裁判が始まるまでの1年間に、弁護士がタイラーに面会したのはわずか1時間だけだった。しかも弁護士は証人とも会わず、専門家も証人として呼ばず、検察側が提示した物的証拠を検証しなかった。さらに、後の控訴審で裁判を「根本的に不公正」なものにしたとされた一審の裁判官の重大な誤りにも異議を申し立てなかった。裁判が始まってから、タイラーが被害者を撃っていないことを示す証拠がみつかっている。法廷でタイラーに不利な証言をした証人たちが、警察に強要されたものだと述べて後に証言を撤回し、提出された法医学的な証拠からは必ずしもタイラーが犯人であることは明らかになっていないこともわかった。
タイラーは当初、死刑判決を受けたが、1976年に合衆国最高裁が同州の死刑制度は違憲であると裁定したため、1977年、20年間は仮釈放も保護観察も執行停止もない終身刑に減刑された。
連邦控訴審では2度にわたり、タイラーは「憲法違反の起訴で有罪判決を言い渡され」、このことが裁判を「根本的に不公正な」ものにしたという決定を出した。最初の決定で、連邦控訴審はタイラーの有罪判決を無効にし、再審を命じた。しかし州が控訴し、連邦控訴審は再審命令を撤回した。控訴審は起訴の憲法違反の問題については触れず、裁判が根本的に不公正であったという見方を再確認した。ルイジアナ州仮釈放委員会は少なくとも3回、2人の州知事に対し、タイラーの刑を減軽するよう勧告し、1度は迅速な恩赦の対象としたが、これらの勧告は却下された。
ルイジアナ州の死刑制度が違憲であるとされていなければ、タイラーはすでに処刑されていた可能性が高い。アムネスティはブランコ州知事に対し、ただちに効力を発する恩赦を行ない、事件について独立した十分な捜査を命じ、隠ぺい工作や人権侵害に関与した人びとを裁判にかけて、この衝撃的な不公正を正すよう要請する。
ゲイリー・タイラーのケースとアムネスティの懸念に関する詳細は、USA:“The Case of Gary Tyler”, AMR51/89/94.を参照。
アムネスティ国際ニュース発表
(2007年2月12日)
AI Index: AMR 51/026/2007
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