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- 最新情報:
- 2016年12月 6日 (stop情報)
- 更新履歴:
- 2016年2月 9日
- 国名:
- イスラエル/被占領パレスチナ地域/パレスチナ
- 対象者:
- ムハンマド・アル=ハシュラムーン(男性)
- 期限:
- 2017年1月 6日
- 配信日:
- 2016年2月 9日
- UA No:
- 031/2016
パレスチナ人の少年、ムハンマド・アル=ハシュラムーンさん(17才)が起訴なしに無期限拘禁されようとしている。イスラエルの判事が彼を自宅軟禁にするよう命じた後、イスラエル当局は直ちに彼に対して6カ月間の行政拘禁命令を下した。命令は6月20日に失効するが、無期限に更新できる。
ムハンマド・アル=ハシュラムーンさんは2015年12月3日、被占領東エルサレムのラス・アル=アムドの自宅でイスラエル軍に逮捕された。およそ40名の国境警官とイスラエル保安局(ISA)職員が、彼の住居がある建物に押し入った。ムハンマド・アル=ハシュラムーンさんの叔父のアパートに最初に入り、服も着させないまま叔父をベッドから通りに引きずり出した。叔父が外に出されている間、ムハンマド・アル=ハシュラムーンさんを逮捕し、エルサレムにあるISA尋問センターに連行した。そこはロシアン・コンパウンドとして知られる拘置所である。18日間、勾留されてから、イスラエル南部のアシュケロン刑務所に移され、そこに4日間いた。エルサレムでの襲撃計画について繰り返し尋問されたが、計画を否定した。エルサレム下級裁判所に2度出廷し、1月20日の2回目の審理で、裁判所で1週間の自宅軟禁とおよそ1,260米ドルの罰金を命じられた。しかし、自宅軟禁の代わりに、イスラエル国防相は翌日、彼に6カ月間の行政拘禁命令を下した。当局は行政拘禁命令によって人びとを起訴なしに勾留することができ、無期限に命令を更新できる。また、当局は証拠を開示する必要がなく、そのため被拘禁者たちは自らを守ったり、拘禁に対する異議申し立てをすることができない。
ムハンマド・アル=ハシュラムーンさんの母親はイスラエル北部のメギッド刑務所にいる彼と面会し、彼が疲れて不安でいることを知った。彼はエルサレムのIDカードを持っており、被占領パレスチナの東エルサレムまたはイスラエルの西エルサレム、イスラエルの他の地域に居住することができる。彼は行政拘禁されている2名の未成年の1人である。4名が1月に釈放された。
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追加情報
ムハンマド・アル=ハシュラムーンさんは2014年中頃に逮捕されたことがあり、投石で起訴され有罪となり、101日間の禁固刑に服役した。彼が2015年12月3日に逮捕される直前、警官とISA職員たちはほとんど毎日、彼の家を訪れており、彼とその活動について質問していた。彼は現在、イスラエル国内に拘禁されているが、このことは、戦時の文民保護に関する第4ジュネーブ条約に違反する。この条約は被占領地の住民である被拘禁者は、その領域内において拘禁されなければならないと規定している。
行政拘禁は元々、英国による植民地支配下で導入されたもので、表向きは治安に極めて大きくかつ差し迫った危険をもたらす人物を拘禁するための例外的措置としてイスラエルの法律、軍令に組み込まれた。しかし、この制度はたいてい被占領パレスチナ地域(OPT)のパレスチナ人たちを拘禁するために用いられてきた。彼らは国際基準に沿って裁かれるべきであり、最初から逮捕されるべきでなかった人びともいた。イスラエルの行政拘禁については以下の英文資料を参照。https://www.amnesty.org/en/documents/MDE15/026/2012/en/
2015年10月以降、イスラエルと被占領パレスチナ地域での暴力事件が劇的に増えた。被占領パレスチナ地域において緊張が高まる中、イスラエル当局は大量逮捕やさらなる行政拘禁命令の発令で対応してきた。2015年末までに580名を超えるパレスチナ人を行政拘禁した。イスラエル当局からイスラエルの人権団体、ブェツレムに提供された統計によると、2008年以降、最多となっている。同時に、子どもの行政拘禁も再開された。2004年から2008年の間、行政拘禁された子どもは多数いたが、2011年12月までは着実に減少していった。2011年12月時点で行政拘禁されていた子どもはたった1名であった。2015年10月、すべて17歳でエルサレムのIDカードを持つムハンマド・ガイスさん、ファディ・アッバシさん、カセム・スベさんが、2011年12月以来の未成年の行政拘禁となった。3カ月間の行政拘禁命令が失効した1月に彼らは釈放された。地域の人権団体であるでフェンス・フォー・チルドレン・インターナショナル・パレスチナによると、他2名の子ども、バッセル・ムハンマド・アル=アトラシュさんとムハンマド・シャリフ・アブチュルキさん(両名とも西岸地区出身)もまた1月に釈放された。一方、西岸地区のイブラヒム・サフィ・サワフタさんは3カ月の行政拘禁に服しており、その命令は4月に失効することになっている。
歴史的に、行政拘禁がイスラエルのユダヤ人に用いられることはまれで、2015年には数名が行政拘禁された。2016年2月、イスラエルのユダヤ人であるメイア・エッティンガーさんに対する行政拘禁命令が4カ月間、更新された。彼は、過激派ユダヤ組織のメンバーとの関連で2015年8月に逮捕されていた。国際法では、子ども(18歳未満の人びと)の勾留は常に最終的な手段でなければならず、執行されるにしても適切な最短期間でなければならない。拘置に代わる適切な手段も利用されなければならない。
イスラエルも締約国である国連子どもの権利条約では、「いかなる子どもも、不法に又は恣意的にその自由を奪われない」のであり、子どもの拘禁は「最後の手段として最短の適当な期間のみ用いること」になっている。この条約はまた、子どもは「例外的な事情がある場合を除くほか、通信及び訪問を通じてその家族との接触を維持する権利を有する」ようにしなければならないと規定している。拘禁された子どもは「裁判所その他の権限のある、独立の、かつ、公平な当局において拘禁の合法性を争い並びにこれについての決定を速やかに受ける権利を有する。さらに子どもはこの目的のため弁護人などの援助を受ける権利がある」。
アムネスティ・インターナショナルはあらゆる形態の行政拘禁に反対し、イスラエルにその実施を停止するよう求める。これは国際人権法の下、イスラエルと被占領パレスチナ地域双方において禁じられている恣意的拘禁に当たる。
- 最新情報:
- 2016年12月 6日 (stop情報)
- 更新履歴:
- 2016年2月 9日
- 国名:
- イスラエル/被占領パレスチナ地域/パレスチナ
- 対象者:
- ムハンマド・アル=ハシュラムーン(男性)
- 期限:
- 2017年1月 6日
- 配信日:
- 2016年12月 6日
- UA No:
- 031/2016
ムハンマド・アル=ハシュラムーンさんは、6カ月間行政拘禁された後、6月28日に釈放された。しかし、イスラエル当局に再逮捕され、11月7日に新たに4カ月間の行政拘禁命令を受けた。
ムハンマド・アル=ハシュラムーンさんは、2015年12月3日に被占領東エルサレムのラス・アル=アムッドの自宅で逮捕され、それ以来ずっと収監されていた。逮捕時は、17歳だった。彼は1月20日に国防省から6カ月間の行政拘禁命令を受けた。ムハンマド・アル=ハシュラムーンさんはこの命令が失効した6月28日に釈放されたが、叔母と一緒にいた10月12日、自宅で再逮捕された。家族は「ショッキングなほど激しい逮捕だった」という。家族が5,000シュケル(1,300米ドル)の保釈金を支払った後、当局は11月4日に彼を釈放したが、数日後の11月7日、黒づくめの警官の大部隊が家にやって来て、彼を再逮捕した。彼の叔父がアムネスティ・インターナショナルに語った所によると、ムハンマド・アル=ハシュラムーンさんは今、4カ月間の行政拘禁命令を受けた。
アムネスティは未成年、成年問わず行政拘禁に反対しているが、現在、子どもの行政拘禁に対象を絞ってキャンペーンしている。そのため、ムハンマド・アル=ハシュラムーンさんのケースを引き続き見守っていくが、彼が18歳になったことでこの緊急行動を終了とする。
NGOのディフェンス・フォー・チルドレン・インターナショナル・パレスチナによると、2015年10月以降、19名のパレスチナ人の子どもが行政拘禁命令を受けている。その内、12名は起訴されないまま釈放された。2名は裁判所に移され、起訴された。残り5名の内、少なくとも1名は拘禁中に18歳となり、4名が依然として行政拘禁されている。
さらなるアクションの要請はありません。アピール文を送っていただいたすべての方々にお礼申し上げます。